2004年7月号
|
番外編 「JAC無惨 その2」 文:稲津恒巳 |
| この処、番外編が続いて「グルッペ物語」シリーズが頓挫してしまった観がありますが、前号でお伝えしたグルッペの第一の仕入先であり、共に歩んできたJAC(有機農産物の流通企業)の倒産について、もう一言だけ現在の私の心境を述べさせて下さい。 1970年代後半、当時の食べ物と生活環境(大気・水・土壌)の際限のない質の悪化と、それらにつながる一連の社会的問題に危機感を持った若者達がJACに結集して元気な有機八百屋を立ち上げ、地域に密着して反公害運動を盛り上げていこうと考え、そして安心、安全な旨い有機野菜を専門に取り扱う八百屋を幾十幾百の店舗を創り上げていこうと頑張って来たのでした。 しかし、その意図とは裏腹に、降り積もる年月の中で、結集した若者達の相互の微妙な認識のズレ、経営力の格差が現れてきたのでした。そして理念を掲げる運動体が常に宿命としてもつ構成員の状況に対する意識の違いが組織の分裂と脆弱化をもたらし、ヨットの帆走の如く時代の風を充分に受けながらも一度は立て直したかに見えましたが、その成果を造り上げる事に失敗し今日に至ってしまい、最後にJACの倒産という結末を迎えるハメになってしまったのです。 今や時の流れは、有機八百屋2世の時代に継続しているという小さな成果と経営に疲れた小さな店舗を息子や娘に引き継ぐという事でしょうか。 あの創業期からの5年後、10年後この大都市とその周辺部に幾十、幾百の元気な有機八百屋を創るという構想は、有機農産物とこだわり食品の市場の拡大と共に高級スーパー、大手量販店、宅配、通販、インターネット等に取って変わられました。 それは私達ベンチャー企業が充分な創業者利益を獲得することなく、マーケットの拡大に連動した形で店舗形成を成し得なかった限界が露呈したからでしょうか?元より我がベンチャーが零細な資本で出発し小売業のノウハウを身につける事なく見よう見真似で有機八百屋を造ってきたその限界だったかもしれません。 それだけに、我がベンチャーの反公害に収斂される理念の声だけが空回りして、地域に対して社会に対してもその存在感を強力に示し得ず、また零細なだけに充分な資本形成もなし得ず今日まで来たということでしょう。 遙かあの時代JACの創立とほぼ同時期に「大地を守る会」が立ち上がりましたが、彼等は八百屋業という業態を都市型会員制共同購入方式の販売スタイルに集約させ組織力を強化し経営力を磨き、時代の流れに即応する形で共同購入方式から会員制個人宅配方式に切り替え、順調に事業展開をされています。同時に運動体として時代が抱える社会的問題に積極的に提言され、その存在感と認知度を一段と高めてきました。そして彼等の洗練された都市型販売スタイルに対して我が地域密着型の泥臭い八百屋派は、泥付き大根の如く都市に有機の泥を持ち込んで八百屋と言うステージで上手に商売と掲げる理念を演じようとして一生懸命頑張ってきたのですが、その評価、評判と理解を充分に得られない役者だったということでしょうか。 そして遙か昔、幾十幾百の元気な有機八百屋の創出という夢は今では企業的経営と言うよりも、我がグルッペも含めて、へそくりを細々貯める小さな自然食品店としてその命派を保っているに過ぎないという光景のようです。 私は今一度、この有機八百屋グループの皆さんがあの創業期の頃を思い抱いた気概に立ち返ることを強く訴えたいのです。時代がはやし立てるコンビニや惣菜や、大手量販店に対峙して時代を変革しようとする強烈な個性と意志を表現していかねばなりません。地域の人々、そして家族の健康と幸福な家庭生活の一端は、我が有機八百屋が担っている事を大いに自覚し、地域でのコミュニケーションを深めて行かねばなりません。今こそ、八百屋稼業に「魅せられたる魂」を呼び覚まし存続し拡大させるためにその真価が問われているのです。 かつて確かにあった我が有機八百屋の理念「地域に根ざす八百屋」「地域を耕す八百屋」「地域に支えられる八百屋」を単なる一辺のスローガンに終わらせるのでなく、有機の魂を込めていきたいと考えます。 有機八百屋の量販は鮮度、品質と共にこれ等スローガンの実体化です。多くのお客様方のご来店は、店舗としての信用のバロメーターです。そして有機という言葉は、モノの中味の事だけでは無いのです。良質の食べ物の生産、製造には多くの人々が関与しています。そうした生産者や製造者の方々、店にあっては我が従業員の皆さん、そして、それ等良質の食べ物を必要とする多くのお客様方、そうした人々の輪をドンドン大きくしたいと私は願っています。 そして私達が有機を語るとき、同じ言葉の重さで自己を律して行かねばならないと考えています。あれが旨い、これが旨いといった単なるグルメに走るのではなく、贅に走るのではなく、さらには華美に走るのではなく、素朴な生活感で暮らしていければ充分と考えております。環境がどうであるとか食べ物の安全性がどうであるとかという様々な事象以前に、我が身の生き方、精神の在り様を問い続けたいと思うのです。 (代表 稲津 恒己) |