2004年3月号
|
文:稲津恒巳 |
| 稲作を主体とした農業の生産体系が、その土地、地域の環境を離れて成立し得ないように、国家の有り様もまた地政学とその国土環境に規定されてきました。 モンゴロイド斑を持つ我が民族は、約一万年の年月をかけて、様々な民族との混血を繰り返し、日本人としての原型を作り上げてきました。その中で、中国大陸で発生した稲作の技術が日本列島に伝播して以降、稲作の定着と拡大は縄文時代の長い静謐を破り、人と大地との全く新しい歴史が始まったといわれています。 稲作の定着と拡大は、初めて「余剰」を生み出す社会を実現できました。それはまた、日本という国家の誕生への道を促したといわれています。アジアモンスーン地帯にある日本列島で、稲作の技術を得たことは、その後の国造りに大きな影響を与えました。はっきりした四季の移り変わり、定植時期の多雨とその後の高湿条件は、水稲栽培の稲にとって時宜にかなったものであり、稲の生命力と高い生産性は急速に広まっていったのです。 日本列島は地形急峻で、雨は梅雨時期と秋の台風時期に集中して降り、日照りが続けば渇水、さらに火山があり地震がありと、厳しい環境であったことは確かです。このような人間と自然の緊張関係の中で、治水に対する各地の大土木事業を成してきました。膨大な森林資源を必要にしたにもかかわらず、洪水を軽減させるために絶えず植林を続け、山々があれるのを防いできたことは、今日尚、列島全体の70%の地域が森林で覆われている事実を指摘しています。 地震や洪水で、水田の畦や堰が崩れる度に、修理を繰り返しながらも2千年も昔から維持し続けてこれたのは、稲作が、ほかの穀類以上の高い生産性を持ちつつ、水を適切に管理した水田によって、土地の劣化を防いできたからでしょう。未だ人類は米以上の生産性と栄養価、エネルギーをもった穀類を獲得していません。米作りにまつわる土木技術は、和算や測量技術の進化を促し、同時に鉱山技術や建築技術の緻密さをも生み出したのでした。今日の日本のあらゆる文化と技術力は、稲作の定着と進化によって生み出されたといっても決して過言ではないでしょう。 こうして米作りのための農地は平安、鎌倉、室町各時代を通じて耕地面積は江戸中期には3.5倍へ拡大し、米の生産量は3倍に達し、そして人口も約1千万人から3千万人に飛躍したのでした。文明とは、余剰生産物の結果であり、あの豪華絢爛たる江戸文化は、紛れもなく、米が育てた治水と利水事業の所産であったといわれております。そして、森林資源を維持しつつ、3千万人の人々を養ったエネルギー源が薪であり、薪炭であったことを考えれば、まさに、驚きと感動の限りではありませんか。 考えてみれば明治維新以降、わずか20年の歳月で近代化を成し遂げ、日清日露戦争を経てヨーロッパの列強に対峙し得たこと、そして日米戦争後、10年も経たないうちに戦前の生産水準を超え、見るべき鉱物資源を産出しない日本が、1980年代にはGDPで米国に次ぐ世界第二位の生産力と経済力を保持するに至ったことは、まさしく奇跡としか表現しようがないでしょう。この現実を可能にしたのは、先見性のある、日本の伝統文化に根ざした人材を、政界や官僚組織、経済界に多く排出したからに他なりません。そして、その能力の秘密は幾十世代にわたって作り上げられた日本人としてのDNAの中にあると私は確信しております。 しかし、今や日本の食糧自給率はカロリーベースで40%を下回りつつあります。これは先進8カ国の中で最低レベルです。豊かな自然と水に恵まれたこの日本列島は、現在の総人口を充分に自給できるだけの生産力を保持しているにもかかわらずです。今後、地球環境の激変が予測される中で、米国や豪州等の食糧の輸出国より、輸入拡大を迫られていますが、化学肥料と農薬の大量使用、地下水の際限のない汲み上げによって収奪的農法を展開している食糧輸出国は早晩、その限界を露呈するでしょう。 我が日本の今後取るべき政策は、有機農法、自然農法によって自然の再生力を保持し、生産力を維持しつつ発展途上国へ食糧を提供することだと私は考えております。環境に最大限負荷を与えず、未来永却にわたって継続可能な農法と、水を適切に管理した水田の稲作が、これからは大きく見直されてくると私は確信しております。繰り返しになりますが、農業は生命を育む仕事です。いつ、いかなる環境や時代にあっても、人々の生存にとって最も基本的な産業であり仕事です。しかし現在、我が国が米作りを礎として古くより築きあげてきた生産基盤は、農業者の高齢化、後継者の不足と、安い輸入農産物の濫乱、さらに地方経済の衰退の中で音をたてて崩壊しようとしているのです。 今や農村の衰退と荒廃は都市部での犯罪の激増、モラルの荒廃、家庭内暴力による家族の崩壊と期をいつにしています。そして多くの人々は還るべき故郷を失い、心のよりどころを失いつつあるのです。かつて私達が小学唱歌で歌った「夕焼け小焼け」や「めだかの学校」、「七つの子」などの心象風景は今日の若者たちには全く無縁であるかのようです。自然の優しさと厳しさの中で営まれる農業にこそ、忍耐心、克己心、そして生命を慈しむ心を養い、さらに自然の懐の大きさと深さの中でこそ、人々は育ち、成長し多くの人材を育ててくれると私は確信しております。 いつまでも継続可能な、環境に配慮のある農業の再建のため、微力ながらグルッペはこれからもがんばる所存です。 (代表 稲津恒巳) |