2003年12月号

 
第11回 文:稲津恒巳
 レストラン営業も開店前の混乱を抜け出し、約6ヶ月が経過して、経営もようやく収支がぎりぎりながらも安定してきたようでした。

 その間、メニューの質、レパートリーを再度整理・点検しなおして、お客様へのサービスの向上をはかるスタッフの努力がありましたが、少しずつ評判をいただくようになってきたのです。

 「有機八百屋」と、その店頭で販売されている食材を調理してお客様を持て成す「自然食レストラン」という組み合わせは、日々ご利用いただくお客様だけでなく、地域の皆様方にもより信用と説得力をもつ、材料になったのでしょうか。

 また、杉並の文化的で活動的なイメージと荻窪駅前という地理的利便性との相乗効果から、各テレビ局や主要な新聞、週刊誌などから取材を受けることが多くなってきました。

 さらに、当時の経済が好景気で庶民の生活がより豊かになる中、グルメ志向のいろいろな女性雑誌が発刊され、グルッペが「自然食」とか「オーガニック」という言葉とともにとりあげられました。こういった取材は、レストラン開店から2,3年後もたつと、グルッペの存在と知名度を上げる大きな効果をもたらしてくたようです。

 そして地域での話題性だけでなく、同業者の間でも注目の的になり、都市のみならず地方からも同業者が来店して、経営上の参考意見を聞かせてほしいという要請も随分ありました。

 今から思えば、そのころから食品の安全性の追求と有機農業に対する関心の高まりと、本物志向の声が強まり、有機八百屋がそのような時代の雰囲気に応えていたのでしょう。

 しかし、まだ経営において、成長途上のグルッペは、食料品店として、またレストランとして、お客様にご満足に頂くには運営の未熟さが目立ち、超えるべきハードルは多々ありました。そんな中で私たちの素人っぽさが、逆にお客様に斬新さと安心感を与える部分もあったのかもしれませんが。

 レストランが開店した年、有機八百屋グルッペも、創業6年目を迎えておりました。地域での知名度は上がっていましたが、それが即販売促進に結びつくわけではなく、文字通り、一歩一歩足場を踏み固めながらの途上だったのです。

 八百屋といっても地域の既存の八百屋さんに比べれば、販売力は半分にも満たない感じでした。増してや、量販店の八百屋さんとは比較にならず、彼らのその物量にはまったく圧倒され、感動さえ覚えたものでした。

 そんな中、私は量販のできる店を作り「典型的な有機八百屋」のイメージをかたちづくろう、という思いを持ち始めるようになりました。当時、JR中央線各駅に自然食料品店は点在しておりましたが、「販売力のある八百屋」という点であてはまるのは、数店舗ぐらいだったでしょうか。

 当時、有機野菜の流通センター「JAC」を始めとする八百屋グループの理念として、「地域を耕す八百屋」「地域に支えられる八百屋」という標語がありましたが、それを実体化させるのにはまだまだあまりにも存在感が貧しいように思われました。

 地域の皆様に存在感を問うにはどうすればよいのか、それは有機野菜の量販を通して、なるべく多くのお客様に、旬の味、美味しさを感じていただくことだと考えたのです。

 その結果、食の安全性や有機農業の再生を認識してもらうのが一番ではないか、そのためにも販売量や勢いなどを結集させ、多くの野菜を通してそれを表現する、そんな力があって、初めて、地域に根ざした八百屋が実現できるのではないか、こう考えたのです。

 正しく八百屋というのは、「鮮度と物量がいのち」がキーワード、すなわち、販売量と勢いがなければお客様を取り込めないのです。この思いで、イメージする八百屋を表現しようとグルッペを作ってきたのです。

 最後に、八百屋はお客様との会話があって成り立つ商売です。天気の話から始まり、産地の状況、生産者の人がらや思い、旬の話、料理の話、etc…。こうした会話が、私たちに元気をくれ、日々の仕事を面白くさせ、八百屋全体を面白いものにしてくれるのです。

 そして何より、多くのお客様との会話こそが、店を鍛えてくれるものと私は確信しております。それがあってこそ、地域に支えられる八百屋が実現できるのではないでしょうか。私達のみならずお客様方にとっても面白い有機八百屋というイメージこそグルッペが追い求める姿です。

 当時の手帳に、こんな言葉がつづってありました。

  「有機八百屋は、時代を変える

  有機八百屋は、時代を撃つ

  有機は普遍なるものを提起する

  究めるべきは有機の仕事、

  有機は魅せられる魂だ

  我が存在とつながる生命、生命の拡がり

  巡りくる季節の中、有機は永遠に」


(代表 稲津)