2003年10月号

 
第9回 文:稲津恒巳
 我がグルッペは、三戸の独立した建物からなっています。現在の姿は、時の経過の中で順次拡大してきた結果、各々の建物の壁を撤去して通路を作って一つの店舗にまとめました。非常に変形店舗のためか、今でも新しいお客様は戸惑って3つが別個の店と思っていらっしゃることがあるようです。

 レジのある建物が最初の店舗で1981年にでき、1983年には2階にレストランがつくられました。牛乳や豆腐などの冷蔵品のあるコーナーの建物は、1987年に完成、野菜売り場である木造バラックの建物は、1996年に出来上がりました。これらの各々の建物は、その都度、お隣の中島不動産の社長が取得したものをグルッペがお借りしています。今回は、現在も皆様にご利用いただいております、レストランについてお話します。

 レストランができる前、八百屋グルッペは、私たち夫婦と男性の青木君(彼はグルッペ在籍13年でした)とパートの女性の4名で運営しておりました。新店舗に移って、店内も広くなり、取り扱い商品も増えたおかげで、お客様も少しずつ増えて4名が食べていくには充分な経営状態でした。欲を出さなければ、このままの経営で過不足はなかったのですが、2階の広い空間を倉庫として使うだけではあまりにももったいないと考えておりました。誰ということなく、関係者からも含めて“レストランを開店したいね”という声が大きくなっていました。たった1年前に皆の協力で自前の八百屋ができたばかりで、レストランをつくる余裕などあるはずもなかったのですが、家内の妹(現:有川弘子氏)も加わり、その夢を実現しようという雰囲気が盛り上がってきました。

 当時は、食品添加物が全盛の時代で、意識的な消費者の方々にとっては、外食するのにも一苦労の時代でした。グルッペの店頭に並んでいる安全な食材、有機野菜で調理して、心温まる料理をお客様に賞味していただこう、そして、玄米食のよさをもっともっと皆さんに知っていただこうという気持ちが強く沸き始め、そして、八百屋のお客様からの調理方法・食べ方などのご質問にもお答えしたい、という気持ちもありました。伝統的な調理方法だけでなく、中華・フランス料理・エスニック風など、個々人の発想で野菜の料理・調理法はいくらでもあることをもっと知っていただきたいと思っていたのです。

 また、八百屋の運営としても、2階のレストランの存在は理想的でした。というのも、店頭にならぶ野菜は、その販売量を超えることが時としてありますが、レストランでそれらの野菜をお客様に食していただくことで、各家庭でもいろいろな食べ物を調理していただけるからです。グルッペのような有機野菜を扱う八百屋は、町の八百屋さんのように、販売量に応じた各野菜の仕入れが必ずしもできるわけではありません。生産者の支援という点を含め、提携産地の生産物を積極的に販売したいという気持ちがあり、めぐる季節の中で、大量にできてしまった生産物、特に夏のトマト、きゅうり、なす、ピーマンなどは、店頭に満杯になることもありました。レストランを活用し、お客様にももっと料理していただきたい、という夢を実現するためにも、1階が八百屋、2階がレストランという形態はまさに理想的であり、店舗のオーナー社長にはどんなに感謝したことでしょうか。

 さて、レストラン建設にあたって、開店前年の秋頃より準備しはじめました。建設内容に加え、改装期間中の八百屋の引越しを含め、資金の打ち合わせを進めると、必要資金のうち300万円ほどが不足しておりました。そこで、知人や友人、親戚関係、そしてお客様方々のご厚意に甘えるかたちで、一口一万円、三年間の無利子無担保での融資をお願いいたしました。広く呼びかけ、約200万円のご支援をいただいたのです。一介の八百屋が自分の事業目的にお客様へ資金援助をお願いしたのです。親しい友人からは、立場をわきまえない輩だと小言も言われました(しかし、その友人にも小言代としてしっかりカンパをもらいました)。当時のグルッペの経済規模は、月商300万くらいの規模でしたから、万一事業で失敗したことも考え、自力で返済できる範囲で計画を進め、そして皆様からのご支援も頂戴し、レストランの経営をスタートしたのでした。