2003年7月号

 第7回  文:稲津恒巳
 前号で触れた店舗の作りについて、もう少しお話しますと、店内の内部は、分厚い松材で化粧した壁面と、店舗前面の看板にはイースター島のモアイをイメージした3枚の木彫(現在レストランの壁面に使用)に、それらを両側から包むように羽ばたく翼の彫刻を配置しました。さらには店舗内部の正面壁にはアブストラクトの力作を取り付けました。これらは、JAC荒川社長によって、新しい無農薬八百屋としての店舗のインパクト、重量感を表現して頂いたものです。反対に、陳列棚、床のマットや商品の配置、照明等は、私の全くの素人の工事であったため、店舗内の一体感が表現されず、すべて中途半端で個々の野菜や各商品のエネルギーをそぐ印象を与えてしまったようです。それと、店作りが未経験ゆえに、限られた空間の有効利用という問題意識を実感できるまでには、相当の時間がかかりました。それでも、毎日風雨にさらされることなく屋内で作業ができることが、なにより楽で、お客様も傘をたたんで屋内で買い物ができることも、とても喜ばしいことでした。

 ところで、店舗拡大によって、売り場空間が倍ほどになったわけですが、量販にはまだほど遠く、困難な状態でした。当時の商品の品数や物量は、現在の30分の1くらいで、お客様も30名から40名くらいご来店くだされば多いほうでしたから、時間の流れは大河のごとく、ゆったりとしていました。それに反して、お金の流れは、一時も留まらず、急流のごとくすばやく流れていました。もっと豊かになりたいと思いつつも、ストイックな感覚の呪縛が解けきれず、将来の明確な見通しも描けぬまま、安穏としていました。

 野菜量販の構想をねるために、地域の有名八百屋やスーパー等の商品陳列や野菜の価格調査に足しげく通ってみましたが、具体的に何らかの方法を実現することはできませんでした。「大根を100本、ほうれん草を100束」を販売しなければ、当時の標語「地域に根ざす」「地域を耕す」という言葉も死語になってしまうと考えていましたが、何よりもご来店客数が絶対的に少なく、一歩一歩階段を登るように我が足場を踏み固める以外に道はないと理解していたのです。野菜量販と売上拡大という欲を持ちつつも、それではいくらぐらいの月間売上を予定しているのかといった具体的構想はなく、ただ日々の暮らしに追われていたのでしたが、ある日同業の仕事仲間から考えてみたことのなかったことを聞かされた時でした。「荻窪の駅前、この店舗で商売 キるんだったら、月商1000万円くらいの商いは絶対できる」。今でも鮮明に覚えていますが、この助言に私が思わず返した言葉は、「エーッ!、1000万円も……?」。私にとって1000万円の売上というのは、まったく考えたこともない金額だったのです。 そして、この金額の売上が、現在の店舗で実現すると言われれば、まさにびっくり仰天だったのです。当時の私の感覚では、1000万円以上のお金というのは、住宅ローンで20年30年かかって、返済する金額くらいにしか思ってなかったために、我が事業でこの金額が達成できるなんて、全く想像外のことだったのです。

 しかし、友人の助言に従って、冷静になって考えてみると、一日あたりの売上、営業日数、ご来店お客様数、お客様一人あたりの単価、商品毎の仕入れ規模と売上規模、従業員数、等々。この金額を達成するための条件を分解していくと、確かに、実現不可能な数字ではないことがわかってきたのです。そして、この売上金額を達成するのに、5年くらいかかったと思います。こうした思考の作業を通して、野菜の大量販売することも、初めて具来的にイメージできるようになったのでした。かつては機械商社のサラリーマンの時代には何百万の機械を取り扱っていたものの、その仕事のイメージも、金額の実感もなかったのが、今、我が無農薬八百屋をどう展開すべきか、そのイメージが形作られていくことを実感できるようになったのです。

次回につづく