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| 「石の上にも3年」とよく言われますが、生業としての我がグルッペが、安定的な経済状態になって、継続してやっていける見通しが立ったのは、店を始めて3年くらい経ってからでしょうか。この間、八百屋を始めて2年後の1月に長男人詩が生まれ、店のダンボール箱で育ったのですが、そうした姿を見て、お客様から乳母車や幼児用の衣類などいっぱいいっぱい頂戴して、本当に皆様方からご心配いただき、我が家族にとって、経済的にも精神的にも生活の大きな支えとなりました。 また、いつもお世話を頂いている土地のオーナーでもある、お隣の中島社長から、本社ビル建築を着工することで、グルッペ移転の話が出たのですが、隣の使われていない店舗+住宅の用地(現在のレジがある建物)を取得していただき、そこに移転することになりました。しかも、破格の条件でお世話を頂いたのです。(現在グルッペは3つの独立した建物の壁を撤去して、一つの店としてまとめていますが、営業年数の経過の中で、順次借り受けて拡大してきたのです)。 グルッペが今日あるのは、お客様方のご支援と中島社長の陰のご支援があればこそ、頑張ってこられたと深く深く感謝しております。ここで初めて屋台風店舗から卒業して、店舗らしい店舗で仕事ができるということで、宙にもまいあがらん気持ちでいっぱいでしたが、いざ具体的な店造りとなると、全く未知の世界。思案に暮れていました。伽藍堂の店舗の造作内装から始めるとなると、業者に頼めば当時の資金で最低でも2,3百万、とてもそれだけの資金余力があるわけでなく、JACの荒川社長に相談したところ、実費負担だけで、ご本人が施行してくださることになりました。 グルッペの第一次工事は、おかげさまで分厚い松材をふんだんに使用した重厚な作りで、建築に興味のあるお客様からも評判をいただきました。その内装に合わせて、陳列棚や什器、備品等も配慮した空間設計と資材を使用すれば、有機野菜や食糧品もさらに光り輝いたのでしょうが、そうしたことには全く無頓着で、私自身がはじめての素人大工で製作したために、アンバランスの極みを表現してしまったようです。元気な有機野菜やオーガニック食品がその勢いや迫力がなく、野菜たちも、そわそわ浮き足立って、居心地が悪いのか、“もっと真面目にやれー”と怒声がとんでくるような感じだったのです。 時は夏の盛りの8月、未だクーラーも冷蔵庫もなし…。 言い訳にはなりますが、店舗の調度品を製作するということも初めて、店舗にはどのような機材が必要ということにも無頓着、資金も絶対的不足という状況の中では、無理からぬことと思うのですが、この店造りを経験したことで、以降の店舗改装では、玄人肌のセンス(?)と技術を修得するようになったのです。 今では、第二次改装によって、最初の原型はほとんどとどめていませんが、当時の雰囲気を多少なりとも残しているのは、店舗正面の調味料コーナーで、年降る経過の中でだいぶ薄汚れてはおりますが、分厚い檜の板と丸大の組み合わせのあたりです。 また右側の商品陳列棚と在庫品の収納箱、天井側の収納棚は、私が設計したのですが、限られた空間の中で、これだけの陳列スペースと収容力をもった設計は、今でも私の自慢です。 こうしてグルッペは、屋台風から本格的店舗での営業開始により第二次創業となるわけですが、これまでの私たち夫婦とアルバイト1名だった生業から、事業展開へと目覚め始めたのもこの頃からでした。2年後には、2階でレストラン建設の話が具体化し、さらには仕事仲間の倒産店舗の建て直しによりJACへの、これまでお世話になった恩義のお返しなど、多忙な毎日でしたが、仕事の面白さと充実感を実感するようになったのです。しかしその陰で我が家内には店の運営や家事、子育てと大変な負担をしいて、申し訳ないと思っておりました。 次回につづく |