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| さて、「グルッペ物語」も定番化されて、2年有余り毎号わずかの紙面の中で、我が「有機八百屋」がどういう切掛で立ち上がり、どういう想いを抱いて今日まで来たか、私の心情の一端を披瀝させて頂きました。今こうして原稿を書きながら過去のいろいろな出来事やハプニングを思い浮かべるにつけ、創業25周年の経過はあの日あの時あの書店に立ち寄らなければ、或いは、「複合汚染」という1冊の本を手に取らなければ、私の現在は確実に別の方向に進み、別の生き方をしていたことは間違いなかったでしょう。 当時にあって、私は確かに脱サラし独立して何か商売を始めると云う、強い意志がありましたが、それは特定の事業を意識したわけではなく、未だ未だもう漠然としたモノで、条件が合えば、それはコンビニの店やラーメン店の店主でもよかったのです。私が機械商社を退社して事業の対象に選んだのが、なんとよりによって今だまったく未知の分野の無農薬八百屋だったとは……。誰が想像したことでしょう。 その動機付けこそは、危機意識だったのです。「複合汚染」から私が読み取ったものは「食が危ない」、この一語に尽きます。この危機感をバネに、一年後に屋台の八百屋(2坪の丸太組みにテントシート+4坪のプレハブ)の店頭に立ったわけですが、当時私自身、この世界に入った直後、先妻とも別れ、僅かな財産も娘二人の養育費として先妻に渡し、まったくの無一文から始まったのです。あの時代、無農薬八百屋(当時の屋号)というコンセプトは確かにあったとしても、この世界の草創期のことであったため、常時大した品数があるわけでも、毎日仕入れができるわけでもなく、鮮度保持のための冷蔵設備があるわけでもなく、ご利用いただくお客様も僅かで、通りがかりの人々は何か変な八百屋があるとでも様子見しているばかりの雰囲気で、このグルッペはナイナイづくしの中の屋台の八百屋だったのです。今思えば、既存プロの八百屋さんや、食料品店の店主で、絶対に商売の対象としては手がけなかったであろうと今でも思います。 ベンチャービジネスといえば聞こえはいいですが、商売の立ち上げの客観状況や難しさ等々を考慮すれば、二の足を踏む気持ちになれなかったことは間違いないでしょう。また当時、自然食品店は中央線各駅に2,3店舗はあったとは思いますが、事態は未だ零細で夫婦二人でなんとか経営しているというのが実情で、今思うと、当時と現在ではまさしく隔世の感です。我がグルッペも夫婦二人でがんばって経営の安定と将来への展望が見え出したのは、開店後約3年くらい経ったあとでしょうか。 まさしく石の上にも三年です。開店1年後、悪戦苦闘の中、こんな一句を年賀状に書いたことがあります。“降り積もる、借金の山に屋台傾く” 次回につづく |